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永野愛子と申します。
現在、家族揃って平穏な暮らしをしておりますが、将来の不安に押し潰されそうな日々を送っていた過去があります。
私は、10年ほと前まで夫と共に建設関係の会社を経営しておりましたが、経営難となり自己破産をした経験があります。
そして、自己破産をして業界から離れた後も、知人友人たちの悲惨な知らせが届くたびに心を痛めたことも多く、自身の体験が誰かの役に立つのではないかと思うに至りました。
頼ってきた知人の力になってあげることができなくて、あの時、もっと心情を察してあげることができていれば、と、悔しさがこみ上げてくることもあるのです。
そんな私の訳ありな事情をお話ししたいと思います。よかったらお付き合いください。
自己破産を決意したときのこと
夫と私は、結婚して間もなく夫の父が創業した会社を引き継ぎました。
義父が戦後の成長期に立ち上げた会社で、創業60年ほどの地方の中小企業でした。
義父の人柄もあり地元でも信用が高い老舗で、私たち夫婦が引継いでからも28年間経営をしてきた会社で、深い愛着がありました。
不況の煽りを受け同業者が次々と倒産していく中、我が社も例外ではなく資金繰りが難しくなっていましたが、義父が残してくれたこの会社を守りたい一心で頑張っていました。
仕事さえ受注できれば、銀行融資に頼りながらなんとか経営できる。現状は自転車操業だったのですが、当時の我が社には、それ以外に方法はなかったんです。
継続して仕事が取れなければ、いつ倒産してもおかしかくない経営状態で、資金繰り表を見れば見るほど不安が大きくなっていました。
そして、ついに不安が現実となる日が来てしまったんです。
この仕事を受注できれば、食い繋ぐことができると待ちに待った案件が、同業他社の手に渡ってしまい、受注できなかったんです。
「あの仕事、取れなかった。」と、肩を落として帰ってきた夫に、声をかけることもできないほど、私も当惑してしまいました。
資金繰りを何度もやり直し、なんとかならないかと何度も試算してみましたが、仕事がなければどうすることもできない現状を思い知るだけでした。
そう、資金繰りに行き詰ってしまったんです。
銀行融資を受けてもどうにかなる状態じゃない。そもそも、銀行が貸し渋りし始めていたので融資交渉が成立しない確率の方が高い。
仕事が取れなかった。近々同等の仕事が取れる予定もない。そんな状況で資料を粉飾して借金をしても返済できないことは明白だったんです。
父から譲り受けた会社を潰すことは、とても辛いこと。夫は私以上に見切りの決断に苦しんでいました。
ですが、このまま無理に経営を続けていたら半年後には夜逃げすることになりかねない。そうなれば、家族離散になってしまう可能性が大きい。
「倒産」それが現実となってしまうことが、夫にも私にも確実に予想できたのですが、口にすることを避けていました。
ですが、手形期日が迫る中、決断を先延ばしにする時間の余裕はなかったのです。
なぜなら、1年ほど前に自己破産をした会社の社長さんY氏に、「自己破産するなら見切り時を誤るな!」と、事前に情報を頂いていたからです。
でも、自分たちだけでは判断しきれず、私たち夫婦は弁護士に相談に行きました。
そして、弁護士に経営状態の概要を話しただけで、「今すぐ自己破産すべきだ。」と言われました。

やっぱり自己破産しか方法はないのか・・・。
でも、その場で決断することはできませんでした。
自己破産しか方法がないことは分かったけれど、冷静に覚悟を決める時間や、迷惑をかけてしまう身内に、事情を話して了承してもらうことも必要だったんです。
何も言わずに、借金の連帯保証人になってくれた義兄や実家の父に、なんといって事情を説明すればいいのか悩みました。
意を決して報告に行った私たちに、「分かった。仕方ないじゃないか。」と、責めることもなく承諾してくれたことに感謝し申し訳なく思うと同時に、ホッとした瞬間を今も時おり思い出します。
そして、一週間後、弁護士に自己破産手続きを依頼することになったのです。
自己破産を決意してから、Xデーまでの三週間は怒涛のように過ぎましたが、今でも鮮明に覚えています。
土地や家、株券、生命保険、自動車などの個人財産も、現金に換価できるものは全て失い、地元を離れ借家暮らしになりました。
せめてもの救いは、自己破産の見切り時を聞いていたので、破産後も家族揃って生活することができたことです。
お金と物は失いましたが、家族の笑顔は失わずに済みました。
後悔した知人の見切り決断
うちが自己破産をして、新地で新たな生活を始めて2年くらいだったでしょうか。
懇意にしていた同業者の社長Hさんが、ひょっこりと夫を訪ねてきました。
自己破産した夫を気遣って話に来てくれたものと思っていたのですが、しばらくすると、夫がちょっと来てくれと私を呼びに来たんです。
話を聞いてみると、月末の手形が落とせない状態になっていて、融資も無理なのでどうすれば良いのか一人で悩んでいたとのこと。
悩んだ挙句に、うちが自己破産したときに、どんなにしたのか教えてほしくて訪ねてきたんです。
当時にどんな手続きや処理をしたのか話し、一日も早く弁護士に相談した方が良いというと、担当の弁護士がいるので相談してみると、少し明るい顔になって帰ったんです。
月末の手形が落とせないと言っていたのを気にしつつも、弁護士に相談して切り抜けたと思っていました。
その時のHさんは、自己破産の見切り決断をしたように見受けられたので、手続きが上手く運ぶことだけを気にしていたのです。

H社長、あれからどうしたかな?
弁護士に相談するって言ってたから大丈夫だよね。
夫とそんな話していた翌日、彼が自らの命を絶ってしまったことを知りました。
H社長の訃報の知らせに悔しくて悲しくて、なんでなんでという思いだけがこみ上げてきました。
あのあと、月末までに電話するべきだった。と、夫もひどく後悔していました。
彼は、弁護士に相談することもなく、家族にさえも何も言わずに、一人で抱え込んで去ってしまったんです。
自己破産するにしても費用が必要なので、そこで足踏みしてしまったのかもしれません。
後で分かったことですが、親に頼ればなんとかなったはずだったんです。でも、そこまで立ち入って話しを聞いてあげられなかったんです。
私たち夫婦は、見切り時を教えてもらっていたので、どうにもならないギリギリまで決断を先延ばしにせずに済んだことや、身内にも全て打ち明けられたことを思い出しました。
見切り時
- 返済不能になっていた。
- しかし、自己破産手続きの費用は工面できた。
それができたのは、自己破産など夢にも思っていなかった時期に、自己破産をした社長のY氏から身の上話として、見切り時をたまたま聞いていたからでした。
もっと早く、数年前に危機感をもって決断していれば自己破産までしなくて良かったのかもしれないんですけどね。
そんな、自身の自己破産経験や、友人の悲しすぎる出来事があったので、自己破産から10年がすぎた今、一人でも誰かの役に立てたらと思い、このサイトを立ち上げました。
ひとつでも参考になることがあれば幸いです。